創価学会は日蓮大聖人と呼び末法・(現代の御本仏)、釈迦に変わる仏としています。仏とは主師親の三徳を具えているこれが条件。しかしながら活動の中では日蓮を師とは認めてはいません。創価学会には永遠の指導者がおられるからです。池田先生と呼び!生涯の師!とする信心だそうです。あくまで師は池田大作その人、これはとても具合が悪いので人生の師であって仏法上の師ではない?という。南無(身も心もささげつくして信じる)生涯かけての信心なんだろうからそれはおかしい。主師親を具えない(師)でない日蓮が仏?であることに皆さんは矛盾を感じませんか。